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OEK・井上道義×広瀬悦子 [コンサート]

Felix Mendelssohn-Bartholdy: 弦楽のための交響曲第10番 ロ短調
Maurice Ravel: ピアノ協奏曲 ト長調
 (Encore) Franz Liszt: パガニーニによる大練習曲第3番 「ラ・カンパネッラ」
   * *
武満徹: 地平線のドーリア
Wolfgang Amadeus Mozart: 交響曲第39番 変ホ長調 K.543
 (Encore) W.A.Mozart: 行進曲

  井上道義(Cond.)   広瀬悦子(Pf.)
  オーケストラ・アンサンブル金沢


少しひさしぶりのコンサート。この間、OEKの定期公演や21世紀美術館でのコンサートなど
楽しそうなのがいろいろあったのに、予定が合わなくて行けず、見に行った方々のレビューを
読んでとても羨ましくて、そろそろ禁断症状が出そうになっていたのだ。

さて、今日のコンサートは、OEK会員のQさんから譲っていただいたチケットで、2階席最前列の
SS席、それも一般には売られていない会員限定の特等席での鑑賞なのだ。
実は私は、OEKの会員にはなっていない。なぜなら、OEKの定期公演には3シリーズあって、
シリーズごとの会員制で、私のいきたいなぁと思うコンサートが見事にバラけているから。
でも、一般枠で買おうとするともうほとんど席がないのに、会員だともっといい席が買えたり
するというのだから、ちょっと悔しい。


さて、コンサートはメンデルスゾーンから始まる。なんと12歳のお誕生日に「専属オーケストラ」
を両親からプレゼントされたという超お金持ちのフェリックスお坊ちゃまが14歳で作った、
弦楽のための交響曲。予告では12番だったが、井上さんの希望で急遽10番に変更された。
悲しげで心に沁み入るような静かな和音に始まる。標題もなく、聴いた印象からはおそらくは
特に表現したい想いなどもなかったと思うのだけれど、逆にいうと音楽としての完成度だけを
追求した、古典派を髣髴とさせる曲である。この曲を、14歳の少年が作ったって?!
子どもっぽさはどこにもない。大人びた子ども、というのはいるが、そういう印象でもない。
解説で作曲年齢を知ってから聴いたから特にそう感じたのかもしれないけれど、
メンデルスゾーン少年には大人の世界観がすでに備わってたのだろう、と思わせる。
メロディのつながり方とか、和音の動きとか、そういう音に対する感覚――それはその人の
経験の蓄積によって年とともに変化してゆくもので、ひいては精神の成熟度が映し出される
のだと思うのだけれど――が、とても子どものものとは思えないのだ。
早熟の天才、というのはこういうものかと思った。

さて、お次は私が偏愛するラヴェルの中でも特に好きなピアノコンチェルトである。
…が、どうも金沢に来てから、あまりフィーリングの合うピアニストに出会わないなぁ。
自分も弾く楽器は全然弾けないのと比べて中途半端に知っているだけに点が辛くなるとか、
好きな曲ほどいろいろ、世界中の名演CDなんかも聴いているので耳が奢っているとか、
そういうことなんだろうか。
ムチの一打ちに始まる第1楽章。ピッコロのメロディにキラッキラのピアノがかぶさる、
とっても歯切れ良くてリズミカルな第1主題。うわ、速いー。ちょっと管楽器がしんどそう。
ゆったりとしたジャズ風の第2主題。今度はねっとりとした、ジャズのサックスのソロみたい。 
音がうねる感じ、というのかな? ピアノで管楽器みたいなつながった音を弾こうとすると、
どうしてもねっとりした弾き方にならざるを得ないのだけど、私の好みからはちょっと。
それから揺らしすぎ。先行してる楽器の弾いたテンポを完全に無視するって… 全体的に、
ソロじゃないんだから、オケが合わせられないほど自分流にテンポを変えるのはいただけない。
展開部の冒頭では、また急に速くなったものだから、一瞬オケが完全に落ちてたぞ。
途中で管楽器の悲鳴も聞こえたしね。微妙にやる気失くしてる人もいたような… ま、相手に
全然合わせてくれる気がなくて、一方的に合図もなく付いてくるよう要求されるんじゃね。
静かに始まり、じわじわと潮が満ち、引いてゆくような第2楽章。
ラヴェルは、どう考えてもこれで美しく響くはずがないと思えるような不協和音でも、
とんでもなく美しい音楽として曲に取り込んでしまうのだ。それは、それまでの音の流れとか、
タイミングとか、精密な音程とか、ひとつでも狂うと台無しになる、精緻な構造。
つまり、合っていないアンサンブルでは、音楽にならず、単なる音のカタマリ、になってしまう。
第3楽章。プレストで印象的なリズムを繰り返しながら、全体的には急流のような印象。
やっぱり広瀬さんは独りで走る走る。この難しい曲をこのテンポで弾くのは感嘆に値するが、
アンサンブルには向いてなさそう。音は(特に高音のp)とても綺麗なんだけど。

アンコールのラ・カンパネッラは、音の綺麗さを最大限にアピールできる、いい選曲だ。
実際キラキラとした高音はとても綺麗だった。ただ、テンポの揺らし方とかが、これは良し悪しを
いうわけではなく、単純に私の好みとは合わなくて、残念。

休憩を挟んで、後半。武満さんの現代曲。「17人の弦楽器奏者のための」と解説にはあるのに、
あれ? 暗い舞台の中央のスポットに照らし出されてるのは、8人?
いつもは登場してほとんど間髪をいれず指揮を始め、たまにオケがあせっているように見える
こともある井上さんなのに、じっとしている。会場が静まり返る。
と、舞台奧の壁の中央部分がゆっくりと開いて、奧にはぼうっと3人の幽霊…じゃない、コンバス
奏者さんが浮かび上がる。そして演奏が始まるのだが、舞台の上の誰も(奧の3人も)弾いて
いないのに、音が聴こえる。よく見ると、舞台袖に通じる扉が左右とも全開になっている。
つまり、袖で左右3人ずつが隠れて演奏していたわけだ。曲が終わってお辞儀のために舞台に
登場して、はじめてわかったことだけれど。で、合計17人で合っていたわけです。
曲の方は、典型的な現代曲。風の音、かそけき葉擦れを静かな家の中から聴いているような、
そんなイメージだった。
現代曲は好きじゃない… と常々思って(言って)きたけれど、それは西洋音楽の枠組で
聴いていたから、かもしれない。今日感じたのは、これって雅楽じゃないか、ということ。
半音を何重にも重ね合わせたような音は、まさに笙の音。コンバスの弦を弾いて出す音は、
鼓を打ち鳴らすにも似ていたし、メロディとしてはっきり音程を指摘できない、揺らいで滑るように
移行する旋律も、雅楽の笛の音にそっくりだ。そう思うと、なんだかとても心地よく音楽に
浸れたのである。
現代曲のすべてがこういうのだとは思わないけど、ちょっと聴いてみようかな、という気になった。

ラストはモーツァルト。傑作と名高い最後の3曲の交響曲の最初の、39番。
わりと好きな曲だ。モーツァルトのホンネが聴けるような気がするから。
ひたすら明るくて朗らか、というモーツァルトの多くの曲は、じっくり聴くほどに、個人的には
どうもすわりが悪い。作り物めいた、上滑りする朗らかさ、のような感じがする。
だから、するすると流れていってしまう。音楽が主食の私にとっては、喉越しが良くて冷たくて
気持ちいいけどお腹にたまらない、お素麺みたいな感じかな。
もちろん、だからこそ誰にも愛されるのだとは思う。深く付き合わないなら、朗らかで明るい
人である方がありがたい。でも、こっちが本腰をいれて話を聞こうとするのに、ニコニコと
邪気のない笑みを浮かべられるだけだと、ちょっと、アンタ本気で向き合いなさいよ、と
言いたくなるような、そんな感情をモーツァルトに対しては持っているわけだ。
当時の作曲というものがそういうものだとは理解しているのだけれども。
けれどこの39番を含む3大交響曲は、聴いていてわりとしっくりくる。
全体としては、当時のお約束に則っているし、別に悲壮感も深刻さもない、明るい曲
なのだけど、なんとなくちょっと心開いてくれたのかな、と思わせるような印象なのだ。
ちゃんと、心に届いて、流れ出していかない、ちゃんと印象が残ってくれる。
解説によれば、どうも注文を受けて作った曲ではない、自分の作りたいときに作った曲の
ようで、そのせいかもしれない。
心地よく音楽に沈みこんで、ちょっとだけ晩年のモーツァルトと語り合えた気がした。

アンコールは同じくモーツァルトの行進曲。ええと、これはK何番だろう?
39番の編成にはオーボエが入っていないので、オーボイストさん二人がここで登場。
まぁこれはわりとふつうのモーツァルトかな。楽しい曲でした。


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